中尾千興・中山福会長へ献花
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2014年11月27日、逝去した中尾千興・中山福会長のお別れの会が12月26日、大阪市内のリーガロイヤルホテルで催され、およそ750人(約350社)の参列者が花を供えた。
石川宣博社長と中尾会長の長男・充志(あつし)氏が参列者を迎えた。
中尾氏は消費・流通の変化には強力なリーダーシップによって量販志向の問屋へと方向を転換、同時に企業の体質改善にも取り組んだ後、東証1部に上場した。この間、妥協のないビジネススタイルと情に厚く、気配りの人柄が社内外を問わず、多くの人を引き寄せた。
当日、親族や取引先関係者、友人・知人らがその死を惜しんだ。
【中尾千興氏の略歴】 1940年(昭和15年)生まれ。1959年(昭和34年)同社入社。1991年(平成3年)代表取締役専務に就任。1998年(平成10年)代表取締役社長、2012年(平成24年)代表取締役会長に就任。2014年(平成26年)取締役を退任し、会長に就任。
【弔 辞】
親しくも妥協せず
▽取引先代表
松山茂・ジョイフル本田取締役相談役
あなたと知り合ったのは30年以上前で、互いに40歳代でした。商売の難しさや厳しさを学び合いました。
あなたは、「親しきなかにも妥協なし」を鉄則とされたが、商売よりも大切にしたのが相手の立場を考えることでした。
あの時の叱責
▽メーカー代表
市川典男・象印マホービン社長(中山福と仕入先メーカーとの会『金福会』会長)
弊社とは私が生まれる前から、メーカーと代理店という関係であり、両社とも先代経営者が業界を引っ張っていた。なかでも中尾会長は現場のリーダーとされてきました。
メーカーの営業マンたちへは厳しく臨まれた半面、大いに気を配っていただいた。ある時、私は大叱責を頂戴したが、今思い起こせば、若い者への導きだったのでしょう。
先代たちのいる世界へ召されても、「金物業界の人材育成はちゃんとやった」と伝えていただき、これに違わないようわれわれも全力を尽くしていきます。
不死身の人
▽友人代表
山中茂弘・ピーコック魔法瓶工業会長
取引を始めて間もないのにそれ以来、裸のお付き合いをしていただいた。鋭い眼光であるのに、思いやりの人柄を直感しました。
趣味も多彩かつ達人級で、マージャンの手法では「不死身の人」とも感じた。酒席で辛らであっても笑顔で受け止めてくれました。
生きることの辛さ、哀しさ、優しさ、楽しさは出会う人の多くに伝えた人でした。
来る者拒まず
▽友人代表
井村昌史・元中山福専務
私は、中尾会長から薫陶を受けた多くの後輩たちの代表です。35年間、私の人生の半分をともに過ごしました。公私にわたり教えをもらい、手本を与えてもらった恩師です。
仕事上、重大な局面に立たされた折、冷静沈着な示唆を受け、生涯忘れ得ない。来る者を拒まずの姿勢が多くの人々を魅了してきました。
中山福、中興の祖
石川宣博・中山福社長
中尾会長は強力なリーダーシップで数々の経営課題に取り組み今日の中山福を築かれました。市場の動向・変化をいち早くつかみ、スーパーやホームセンターなど、量販店向け家庭用品問屋として確固たる地位を築き上げました。
収益基盤にも大鉈(おおなた)を振るい、構造改革に臨み、会社を一部上場に育て上げた。
大阪商人の本領をいかんなく発揮。半世紀にわたり粉骨砕身、中山福一筋に尽力された中興の祖です。
中尾会長を失った今、時代の変化に対応し、中山福を発展させるのが私たちの責務。会長の志を継ぐ私たちへ、これまで以上に指導と鞭撻(べんたつ)をお願いします。
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