市川博邦・象印マホービン 元取締役会長のお別れ会
象印マホービン(大阪市)の元取締役会長・市川博邦氏が3月、死去したのに伴い、2016年4月25日、大阪市内の帝国ホテル大阪でお別れの会が行われ、親族と同社関係者をはじめ、取引先関係者ら800人が出席した。
あいさつに立った市川典男社長は、「故人が日ごろ言っていた『人と意志を大切に』を念頭に社業の発展にまい進していく」と、話した。
【弔辞・友人代表】
山中茂弘氏 ピーコック魔法瓶工業会長
市川さんとは、同年生まれとしての心安さもあり、共通の趣味の麻雀を通じて次第に友人として間柄を深めていきました。
喜怒哀楽を率直に表すタイプでなく、クールな人という印象でしたが、その後は胸襟を開く仲でありました。
多彩な趣味の持ち主で、油絵など絵画への造形は深く、収集もされていた。そうした趣味の片鱗をうかがう賀状なども頂戴しました。
社長退任後、麻雀を楽しまれ、至福の時に浸るその笑顔は現役当時では見られなかった表情でした。
言うまでもなく、市川さんは象印マホービンの中興の祖であり、魔法瓶業界の業界のトップリーダーでありました。組合理事長として、4期12年の重責を全うされた。国は褒章、勲章のかたちでその功績をたたえました。
【親族代表あいさつ】
市川邦夫氏(故人の長男)
防衛大学、海上自衛隊に進んだため、実家とも離れ、会社とは無縁でした。
認知症を患っていた父を出張の折、5年間見舞った。もともと寡黙な人であったが、ビジネスについての話はついぞ聞くことはありませんでした。
強いストレスのため、訓練時の記憶を欠落させた防衛大での同僚の事例を思い起こし、父が仕事について一切話さなかったのは仕事はきつかったのだなと思うところです。ご苦労様と言いたい。
【市川典男社長あいさつ】
故人は昭和31年、協和魔法瓶工業(現象印マホービン)に入社。当時、戦後の再建からやっと立ち上がり、高度成長期への入り口。社運を賭けたガラス製魔法瓶の生産の合理化に故人は中心となって進め、弊社のみならず、業界の発展にも尽くした。
昭和45年、大阪万博開催、まさしく高度成長期の中、故人は商品開発の責任者として電子ジャーの商品化に取り組んだ。今日、弊社の大黒柱となり得た炊飯ジャーをはじめ、家電製品への進出の足がかりを築いた。
副社長時、昭和61年、当時の大阪証券取引所2部に上場、翌年、社長就任。
平成13年、故人は会長に、私が社長にそれぞれ就任したが、今問われている企業の社会的責任など、体制基盤を整えていた。
故人の言い伝えである「人と意志を大切に」、社業の発展にまい進していきます。
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