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2017年07月13日

まほうびん記念館を訪ねる


「国産まほうびんメーカー あれこれとマークの変遷」が象印マホービンのまほうびん記念館で2017年12月26日まで開催している。

日本で魔法瓶が生産されてから100年余り。現在、事業を継続していないメーカーのものを含めて魔法瓶70点が今、展示されている。全国魔法瓶工業会加盟8社のロゴタイプやマークなど商標の移り変わりなども紹介されている。


一世紀前に使われていた国産初の魔法瓶が展示されている。同記念館が所有する現品で、1910年代の大阪の八木魔法壜製作所によるものだ。100年魔法瓶の姿は小さめのコップ兼用ふた、革製ストラップ、胴部分にはモスグリーンの塗装。装飾のない簡素なデザインは100年の時を感じさせない表情を漂わせている。

朝日新聞の所蔵する資料から入手した同年代の広告(1913年)は魔法瓶の注ぎ口から湯気立つイラストと、保温性能を示したグラフが添えられている。

第二次大戦中、爆撃機の搭乗員らしき人が携帯用魔法瓶をストローで飲んでいる画像がある。戦時中は金属資材の不足から磁器ケース製の魔法瓶が製造され、東京裁判の法廷内にもそうした事情をうかがわせる画像が紹介されている。歴史の中のあちこちで魔法瓶が使われていたのだ。

展示の大半は戦後、一般市民に愛用された魔法瓶として現物や関連データなどととも紹介されている。


クロームめっきのクラッシクな形状は象印マホービンの戦後第1号卓上魔法瓶「ポットペリカン」1948年製は国内用。優美なデザインは今でも欲しがる人が少なくなさそう。

1950年代、ご飯を保温するジャーはナショナル魔法瓶工業の製品。この分野はやがて電子ジャーや炊飯ジャーとして家電分野で現在も活用されている。

 


60年代では花柄デザインが登場し、回転底が付けられ家庭での普及に拍車が掛かった。


70年代後半にはステンレス製ボトルが登場した。ガラス製中瓶の生産が下降線をたどり始めるのに代わって、ステンレス製品が多数商品化された。

ステンレス製携帯ボトルも小型化、軽量化が競われ、缶飲料のように直飲みタイプが登場(タイガー魔法瓶ミニボトル)などが次々と発売された。21世紀に入ると国内需要のほか、日本を訪れる海外旅行客が複数本買い求めている姿があちこちで見られることになった。

 

魔法瓶メーカーが大阪に集積したのは、すでに江戸時代中期から後期でガラス製造が始まったことも影響している。大阪市北区の大阪天満宮に「大阪ガラス発祥の地」の碑がある。職人たちはガラス製の器や電球も作っていた。高額品だった魔法瓶は輸出商品でもあった。1960年代、ガラス製中瓶は自動機械を導入することになった。このため、コストが下がり、魔法瓶はさまざまな場面で使われることになり、技術開発なども重なり、普及に拍車が掛かった。

 


山口己年男館長の話
「かつて大阪を中心に多くのメーカーが活躍し、それぞれに製品を製造していましたが、現存するメーカーは最盛期の4分の1です。当時の製品を知ることは業界の成り立ちを知る上で大切で、その蒐集は現在も続いています」

 

まほうびん記念館
象印マホービンが2008年開いた企業ミュージアム
所在地は大阪市北区天満1-20-5、 象印マホービンの本社1階
入館料は無料。予約が必要
最大見学人数は約 30人/回